電話のあれこれ

たとえば電話のかけ方もそのひとつでは。
みんなが携帯電話を持つようになったことで、いつでも誰とでも自由に話ができるようになるとばかり思っていたら、結果からいうと、かえって暗黙の了解みたいなものが生まれ、電話は昔よりよほどハードルが高いものになった印象があります。
電話するには、相応の理由、はっきりした要件、緊急を要する場合等でないかぎり、昔みたいに気軽にひょいひょい電話をするということは「してはならない」「しないことがマナー」みたいな空気が蔓延しています。

man holding a smartphone near the window

そもそも昔の通信手段は電話か郵便ぐらいだったから、電話の役割そのものが広かったといえるのかもしれません。
現代はメールだなんだと選択肢が増えたぶん、電話で直接話をするのは身内もしくはよほど親しい人だけのように格上げされ、いきなり電話をするのは一種の不心得者であるかのような雰囲気になってしまいます。
電話をするには、前もってメールやLINEなどの文字情報の往来段階があり、相手側からも応諾の確認が取れ、その結果として電話をすることへ扉が開き、晴れて相手の声を聞くことができるという段階を踏む必要もあり、さらには時間帯を気にし、仕事中、移動中、食事中等々何かの最中であってはならないという気を回しに回すうち、やがてだんだん面倒臭くなる。
それもあって、文字で済むことは、自分のペースで書いて送っておけば事足りるわけだからそれで済んでしまうし、だから人と人はますます会話をしなくなるのでしょう。

こうして個人の時間とプライバシーは守られる代わりに、みんなが付き合い下手となり、かえって疎遠を招き、もしかするとひきこもりなどの増加もこういう社会風潮も一因では?と思ったり。
暗黙のルールというのは、誰がどうしろといったものではなく、気づかぬうちに常識と思っていたものが変質していくものらしく、それにはただ従うしかありません。

暗黙のルールといえば

着信記録に気がついてこちらからコールバックすると、相手が出ないためやむを得ず電話を切ると、すぐその相手からかかってくるというパターンがあって、それが一人に限らずわりによくあるので、ふと気がついたこと…。
それは、元は自分がかけた電話だから、コールバックしてくれた相手に電話代を負担させては申し訳ないということもあるらしく、その着信にはあえて出ず、しかも「いま」なら相手も電話で話せる状態だろうから、すぐにかけ直すということのようです。

たしかに、こまやかな気遣いだとは思うし、ちょっとしたマナーなのかもしれませんが、なにもそこまで気を遣わなくてはいけないものか?というのも正直なところです。
たかだか電話ぐらい、もっと気ままにかけたらいいじゃないかとも思うのですが、いまの世の中なかなかそうはいかないようです。
また今流行りなのか、通話開始から5分か10分か忘れましたが、それ以内なら無料、それを過ぎると有料みたいな電話があるようで、会話中しだいに落ち着きのない調子になり、いやにせわしげに切ったり、ついには「ちょ、ちょっとかけ直していいですか?」となって、あれも私は好きではないですね。
それだとわかれば、こちらは話し放題のプランなのでいくらでもかけ直しますが、わからないと微妙に調子がヘンだったりして、ご当人も安さの代償として気が気でないだろうし、なんだかややこしい世の中になったものです。

もちろん安いことはそれ自体が意味があるし、自分もそういう恩恵には浴して生きている訳だから、そこだけエラそうにいう資格はないけれども、いずれにしろ潤いがないなぁと思います。
そもそも潤いというものは、ちょっと無駄なものとか、ないならないでもいいようなところから滲み出てくるものだと思うし、そこが実はとても大切だと思うのですが、今どきのように極限的な合理性の追求が是とされる時代は、そんなことはなかなか通用しないようです。
それでも尚くじけず、自分の自然な感性を踏みつけるようにして頑張らなくちゃいけない現代人は辛いですね。

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